鯰に喰われた男
壱
垣内十兵衛はがらんとした部屋の真ん中に大の字に転がった。真冬だというのに火鉢もなければ、布団もない。それどころか、畳さえないのだ。唯一残った破れ障子からも、畳のない床板からも冷たい風が吹き込んできていて、家の内外の差がないほどに寒い。
十兵衛は唐突に立ち上がり、床板に両手をついてその場に逆立ちした。
「逆立ちしても、鼻血もでねぇや」
自棄の大声でそう怒鳴った。怒鳴った拍子に身体が揺れ、十兵衛は背中から落ちた。
十兵衛は御家人だった。初代垣内十兵衛は神君家康公に仕えた槍の名人であったというから、なかなかの名家である。しかし禄高は低く、垣内家の台所はいつも火の車であった。それでも先代、つまり十兵衛の両親の生きていた頃までは、借財と母の内職に頼りながらも、何とかなっていた。
まず時勢が父の頃とは違う。この頃の商人は相手が貧乏御家人と見ると、金など貸さないのだ。商人仲間で金を貸す相手としては最低だと言い合っているとも聞く。現に十兵衛は三年先の俸禄まで取られ、やっとわずかばかりの金を借りることができた。
それから先は質屋へ、残った家財道具を持って行っては金に換える他なかった。そして結局、この年の瀬に手元にあるものは、着ている単衣の着物と古びた大刀だけだった。
十兵衛は虚ろに空いた目で天井を見ていた。
明日までに全ての借財を返さなければ、十兵衛は侍でなくなる。御家人株で借財を支払うということだ。強くなった商人の中には御家人株を買って自分の子供を侍にするという者がいるのだ。
返済のめどなどない。とりあえず、ここまで零落した姿を父母に見せずに済んで良かったと、心の底から思った。
やがて日も落ち。
寒さは一段と厳しくなり、十兵衛はやっと起きあがった。寝転がっていては、身体がそのまま凍り付きそうな気がした。
が、起きあがったからと言って寒さがましになるわけもない。寒いものは寒い。十兵衛はふらふらと家を出ていった。
「もう戻ることもないんだな」
ふと組屋敷の古びた長屋を振り返り、十兵衛は呟いた。少し目頭が熱くなったが、泣かなかった。
どこをどう歩いたのか、正直、十兵衛はよく覚えていない。ふと我に返ったときには、どこかの深い森の中に迷い込んでいた。
「はて、ここはどこだろうか」
誰に言うともなく十兵衛は呟いた。当然答える者もなく、十兵衛はそのまま歩き続けた。歩いていないと寒くてたまらなかった。
しばらくして。
木立の合間に何か揺れる光が見えた。
月もない闇夜である。灯りを見間違えるはずもない。焚き火か何からしく、ゆらゆらと暖かそうに揺れている。ふたつ、みっつ。全部で六つの火が見えた。
十兵衛は一瞬立ち止まった。夜中の、深い森の中で火を焚く者が尋常な生業の者達とは思えない。盗賊か何かかもしれない。
しかし、十兵衛に恐れは無かった。自暴自棄というのだろうか。十兵衛には何もなかった。他に恐いものがあろうというのか。
木々の間を縫うようにしてゆっくりと、十兵衛は火を囲む一団を窺えるところまで進んで行った。手近な茂みに潜み、その人々をのぞき見て。
十兵衛は息を呑んだ。
火は焚き火ではなく、篝火だった。木々の間の少し開けたところに緋毛氈を敷き、六つの篝火に守られるようにした七人の人影があった。壮年の男が二人、白髪に長い白髭の爺が一人。三人ともに色味の違う狩衣を着ていた。垂髪に小袿の若い女。牛若丸のように水干を着た若衆。そして一際大きな木を背中に、白拍子姿の女が上座にいた。傍らに小さいながらも、きちんと直衣を着た子供を置いている。
奇妙な一団であったが、その白拍子が頭目であることだけは確からしいかった。
大昔の都人のような装束を身に着けた人々は、軽い笑い声をたてたり、歌を詠んだり、笛を奏でたりしながら酒を酌み交わしている。如何にも楽しげだった。よく見れば、かわらけと呼ばれる古い形の皿には、山海の珍味が盛り合わせてあった。
十兵衛はこのところまともに食べていなかったことを思い出した。その途端、ぐう、と、腹の虫が大声で啼いた。
「たれぞ」
小袿の若い女が厳しい声音で誰何した。一同の視線が十兵衛の潜んでいる茂みに向けられる。
「人の匂いじゃの」
爺が穏やかに言う。
「出て参れ」
男が言った。
十兵衛は他に仕様もなく、潜んでいた茂みから篝火の方へ出た。
「ほう、侍か」
「やけにみすぼらしい奴だな」
狩衣が言い合う。
十兵衛は何がどうなっているのか、どうしていいのか見当もつかず、そこの立ち尽くしていた。
「如何いたしましょうか、御前様」
「見苦しい人など、妾が消してくれましょうぞ」
爺と女が口々に上座の白拍子に言い募った。しかし白拍子は相変わらず、微笑を浮かべたままで十兵衛を見ている。
と、十兵衛は自分の袖をひくものに気がついた。白拍子の傍らにいた子供が、いつのまにか自分の足下にいた。
肩のところで切りそろえられた黒い髪が揺れ、ほっちゃりとした白い頬を篝火が照らしている。どこか高貴な雰囲気の、見れば見るほど愛らしい子供だった。
「ほほ、わこはその方を気に入ったようじゃの」
白拍子が笑った。
子供は十兵衛のごつごつとした手に杯を押し込んだ。そのまま手を引き、一座に座らせる。
「今宵は祝いの席じゃ。この珍客にも酒を進ぜよう」
白拍子の言葉に、一同は十兵衛を改めて見た。十兵衛も見返す。
「そなた、名はなんと申す」
若衆が柔らかな声で訊いた。
「垣内十兵衛」
「侍かえ」
「今日までは間違いなく御家人だが、明日からはわからん」
半ばやけくそで十兵衛は答えた。
「ほう」
「朝がくれば、垣内の名もなくなるのだ。売ったからな」
「名を売ったとな、これは面白い」
狩衣が嬉しそうに手を打った。
「何が面白いものか。おれは帰る家もなければ名前さえないんだ」
十兵衛は杯の酒を一息に飲み干した。その味、その香り。
「目を見張るほど旨いかな」
爺が笑う。
「旨い。おれは今までこんなに旨い酒を飲んだことがないぞ」
「それはよかったな」
十兵衛は皆のすすめるがままに杯を重ねる。白拍子を初め古装束の一同は、十兵衛を酒盛りに加えると決めてしまうと、まるでこれまでもずっとそうであったかのように十兵衛を丁重に扱ってくれた。
「ほほ、面白い御仁じゃの」
一番十兵衛を嫌がった垂髪の女までが楽しげに笑うのだ。いつのまにか寒ささえ感じなくなっていた。
「先程確か祝いの宴だと申されたが、何かめでたいことでもあったのか」
「今年も戒を破らずに過ごすことができたということじゃ。我らにもいろいろとあっての」
「源九郎どの、酒が過ぎましたの」
「いやいや、御近殿。手厳しいのぉ」
若い女に窘められた爺は苦笑いで答えた。ようするに年越しの宴なのだなと、十兵衛は納得した。最早一同の正体などどうでもよくなっていた十兵衛にはそれで十分だった。
酔いもまわり、口にしたこともないような肴を食べ、十兵衛は久々の満腹感を味わった。その十兵衛の膝の上には、先程の子供がちょこんと座っている。余程十兵衛が気に入ったようだ。
「舞を一指し」
若衆がおもむろに横笛を取り出すと、白拍子が立ち上がった。白拍子が舞を舞うときには、蝙蝠と呼ばれる扇を持つのが普通である。が、この白拍子はかわりに刀を手にしていた。鞘も柄も簡素なつくりの、脇差ほどの大きさのものである。しかし一点の曇りもない刀身は、見事なものだった。
「よし、おれも踊るぞ」
すっかり幸せな気持ちになった十兵衛は、子供の手を引き白拍子と一緒になって踊り始めた。狩衣の一人が鼓を打ちはじめ、一同は歌い踊り楽しく宴の夜を過ごした。
やがて東の空が仄白く輝きはじめた。
「十兵衛どの、まことに楽しい夜であった」
「いや、まことに名残も尽きぬが、我らは戻らねばならぬ」
「おれ、いや、私の方こそすっかり馳走になってしまった。何と礼を言っていいのかわからんが・・」
それまで十兵衛に抱かれていた子供は、にこにこと笑って白拍子の方へ走っていった。
「まあ、珍しいこと」
白拍子は子供を抱き上げて微笑んだ。
「十兵衛殿、この子は少し変わっておりましてな。誰かにこれほど懐くということはありませぬ」
白拍子は十兵衛に先程の脇差を差し出した。
「今宵、この子と遊んで頂いたせめてもの礼に、これを差し上げましょう」
「しかし・・」
「遠慮せずに受け取られよ、十兵衛殿」
爺が耳元で囁く。
十兵衛は一瞬迷った。
「それではお言葉に甘えよう」
ここまで飲み食いしておいて、今更贈り物を拒むのもおかしい気がして、十兵衛はその脇差を受け取った。白拍子も子供も満足そうに笑った。
「十兵衛殿、年も改まりました。きっとそなたの運気もまた、改まっておりますよ」
「そうだといいのだがな」
「お別れでございます」
白拍子が言った。
すると、たちまちのうちに篝火も、緋毛氈も、酒も肴も、女も男も爺も子供も消えてしまった。
取り残されたのは、十兵衛だけだった。しかし右手には確かに白拍子から貰った脇差がある。夢ではなかったのだ。
よく見れば、十兵衛がいたのは小さな稲荷社であった。
弐
日が昇った。
元日は穏やかに晴れ渡り、空気は澄みきっていた。その分寒さは厳しかったが、十兵衛は少しも辛くはなかった。気持ちが良かった。
十兵衛は稲荷社の鳥居の前の小さな石段に腰掛け、貰った脇差をつくづくと眺めた。質素なつくりではあったが、名品であった。鞘から抜いて、刀身を見る。
日の光を弾いて、冴え冴えとしている。
「ふむ」
昨夜の、あの謎の都人のことは詮索しないことにした。この世のものでなかったとしても構わないと思った。
十兵衛は脇差を鞘におさめ、腰に差してみた。父親から貰った脇差は当の昔に売り払ってしまっていたので、大小二本をきちんと差すのは久々のことだった。
「やっぱり悪くないものだなぁ」
十兵衛はにんまりと笑った。
それから数日。
十兵衛はどこかの篤信者が供えていった饅頭や油揚げを食って過ごしていた。いつまでもそうしているわけにはいかないことぐらいは十兵衛にもよくわかっていた。が、何もする気にならなかったのだ。今更、何も無くすものはないというのもあって、ぐずぐずと日を過ごしていた。
と。ある日の昼過ぎのことだった。
突然、社の前に立派な乗物がやってきた。大名か大身旗本の女乗物のようだった。中元や徒歩侍の供回りも多い。
ともかく、小さな見窄らしい稲荷社には似つかわしくない大行列だった。
十兵衛も潜り込んでいた社の中から這い出して、外を窺った。
(何の騒ぎだ・・)
十兵衛は息を殺して見守った。
「まことにここかえ」
乗物から女が出てきた。大年増ではあったが、なかなかの美形である。金糸銀糸の織り込まれた立派な打ち掛けを着ている。いかにも奥女中という感じだ。
「はっ、萩乃様」
白髪混じりの武士が恭しく頭を下げた。
女は目を細めて社を見た。幾重かに重ねられた赤い鳥居と小さな石段。それから小屋と言ったほうがいいような社があるだけの小さな稲荷だ。
女は声を掛けた武士に無言で頷いた。
武士はそれを受け、立ち上がる。
「かかれっ」
というその武士の合図に、中元達が一斉に、社へとつっこんでいった。合戦さながらの有り様だ。
と、瞬く間に十兵衛は女の足下に引きずり出された。
「何の真似だっ」
十兵衛は押さえつけられたまま、叫んだ。
「見苦しい男だのう。天野、確かめてみよ」
武士は女に一礼し、十兵衛の方に向き直った。徐に手を伸ばし、十兵衛の腰に差した大小の刀を取り上げる。
「・・・ほう・・」
天野と呼ばれた武士は十兵衛の脇差を抜いた。
「見事なつくり・・この男が源九様のおっしゃった者に相違ありますまい」
女は無言で頷いた。
「おい、お前ら、これは一体どういうことなんだ。ええっ、おれが何をしたっていうんだ」
十兵衛は女に向かって怒鳴りつけた。
身分のありそうな女であることぐらいは見当がついていた。しかし権威だの権力だのというものは、昔からどうも十兵衛の性に合わないのだ。侍らしくもないこの性格のおかげで、お役がつかなかったのだと言えなくもないだろう。
「・・・下郎め、だまれ」
女はさも嫌そうに言い捨てた。その態度がまた十兵衛には気に入らない。中元達に押さえつけられたまま、十兵衛は女を睨み付けた。
「そういきり立つな。我ら、故あってそなたの力が必要なのだ。詳しい話は後ほど話そう。ともかく来て貰うぞ」
天野は有無を言わさぬ強い声で言い切った。
これが他人に物を頼む態度かっ、と怒鳴りつけたいところであったが、後ろ手に縛られ、目隠し猿ぐつわをされてしまってはどうしようもなかった。
ろくに文句も言えないまま、十兵衛は頭に紙袋までかぶせられ、小さな駕篭に押し込められてしまった。
「さ、急げ」
天野の一喝で、一行は稲荷社をあとにした。
半刻ほどは経ったであろうか。
十兵衛を乗せた駕篭はどこかの藩の上屋敷に入っていった。
「さあ、降りろ」
乱暴に駕篭から引きずり出された十兵衛は、手を突くこともできずにそのまま地べたに転がった。目隠しをされたままでは、そこがどこでどういう状態なのかも知れず、十兵衛はじっと様子を伺うことにした。
「源九様、こちらを。この男が持っておりましたものにございます」
天野の声がした。
「ふむ。やはり稲荷社におったか。お告げのとおりじゃの」
その言葉は老人の声だったが、妙に張りがあり、腹の底に残るような重々しい調子だった。
「目隠しをとってやるがよい」
という老人の指示にやっと十兵衛の頭の紙袋と目隠しが取られた。猿ぐつわがはずされるや否や、十兵衛は怒鳴りだした。
「畜生、てめぇら何様だか知らねぇが、何だって俺をこんな目にあわしやがるっ。確かに俺は金も家もないが、身に疚しいところはねぇっ」
「・・・元気な奴じゃのう」
老人が嘆息した。
そこは屋敷内でもいわゆる奥、江戸在府中の大名が過ごす場所であるようだった。長い廊下に面した中庭に十兵衛は転がされ、老人はその廊下にちょこんと正座していた。質素な墨染めの単衣の老人は、痩せ枯れており少しの力でも折れてしまいそうなほどに小さかった。
「源九様、まことにこの下郎でよろしいのでしょうか」
老人の傍らに立つ先程の大年増が不安げに十兵衛を見て言った。どこか他人を見下したような、嫌な感じの女だ。
「萩乃様、夢告を信じぬのなら、儂はそれでも一向にかまわんよ」
「信じぬと申してはおりませぬ」
老僧に無礼ではない程度に不機嫌に、女はそっぽを向いてしまった。
「さてお主、名はなんと言う」
「・・・・他人に名前を尋ねるなら、自分から名乗れ」
「そうじゃの。儂は源九。見ての通りの坊主じゃ」
「・・十兵衛。名字は売ってしまったので今の所はない」
「ふむ、知っておるぞ」
老僧の言葉に十兵衛は怪訝そうな顔をした。
「夢のお告げでな、観音様はおっしゃったのじゃ。『稲荷明神の小さな社に名前を売った男がおる。そやつがお願いを叶えてくれるであろう』とな。その男は見事な脇差を持っておる、ともな」
十兵衛は天野に取り上げられた自分の刀を見た。
「観音様のお告げだかなんだか知らねぇが、おれはこんな風に召し取られるいわれはねぇんだ。早く解きやがれ」
「そうはいかぬ。そなたが我らが望みを叶えると確約するまではな」
女が言った。
「望みだぁ。俺の方が望みを叶えて貰いたいくらいだぜ」
「・・萩乃様ここはひとつ、儂とこの十兵衛殿を二人で話をさせてもらえぬかの」
「それは・・わかりました。後はよしなに」
女は打掛けの裾を翻した。
「ああ、天野様、十兵衛殿の縄を解いていってくだされ」
女は何か言いかけたが、黙って立ち去った。侍たちも源九老人に一礼し、下がっていった。名指しで指示された天野は、忘れずに十兵衛の縄を解いていった。
十兵衛は勧められもしないのに勝手に源九の隣に上がり、座り込んだ。
「ふう、やれやれ。何がなんだかさっぱりわからねぇや」
源九はにこにことそれを見守った。
「これには子細があることでの、皆悪気があるわけではないので許してやってくれぬかの」
「・・・子細も何もあるかよ。有無を言わさずこんなことしやがって。これじゃあお前、拐かしじゃねぇか」
「そうじゃの。拐かされたんじゃの、お前さんは」
素直に肯定されてしまうと、二の句が継げない。
「まあ、かく言う儂も似たようなもんじゃて。儂もお前さんがしっかりとお役目を果たしてくれんことには戻して貰えんのでな」
「・・・だから俺に何をどうしろって言うんだよ」
「実はな、この藩の殿様が大病をお煩いになってな。明日をも知れぬご病状なのだ」
「俺は医者じゃねえぞ」
「見ればわかる」
十兵衛は腕を組んだ。
「薬石甲斐なく、というやつじゃ。侍医も皆匙を投げた。挙げ句に儂が呼ばれたというわけじゃ」
「あんた、何者なんだよ」
「祈祷坊主じゃよ。御仏の御力で殿様の御本復をお祈りするのために呼ばれた。効き目があるかどうかわからぬ祈祷坊主に頼った。つまり、そのくらいに殿様の具合は悪いわけじゃ」
十兵衛はまじまじと源九の顔を覗きこんだ。目も口も皺に埋もれてしまっていて、笑っているようにしか見えない。十兵衛はこの老人が何となく気に入った。
「その上にお告げかよ」
にっと、老人は歯茎を見せて笑った。
「まあ、何とかやってみてくれんかの」
「断ったらどうするんだ」
「・・お前さんも儂も、生きては帰れまいて」
その夜。
「殿は御年十歳。一昨年先代藩主であるお父上様を亡くされたばかり。未だ御正室様もおられず、当然御世継ぎ様もございませぬ」
殿様の乳母だったとかいう萩乃は苦痛の表情で十兵衛に言った。気位の高い萩乃にとって、胡散臭い下郎にしか思えない十兵衛のような男に頼らざるを得ないこの状況は苦痛でしかないのだ。
十兵衛は控えの間でその話を聞いた。殿様の病床に近づくのであるからと、身支度だけは整えさせられたので、こざっぱりとしている。
「・・わかったよ。精一杯やるけど、期待せんでくれよ」
萩乃は返事もせずに、十兵衛の目の前に三宝にのせた脇差を出した。
「御寝所の外には宿直方の他、幾多の者が詰めておる。妙な真似を致せば、その場でそなたの命は無いものと思え」
「・・・・・」
萩乃がいくら威したところで、効き目はない男だった。馬耳東風といった風情で、十兵衛は脇差を掴み、立ち上がった。
殿様の病を癒すことができるのかどうかというよりも、大名の寝間に興味があった。本来ならば、十兵衛のような軽輩の侍では、一生立ち入ることなどない場所である。
「殿」
萩乃が控えの間から襖越しに声を掛けた。返事はない。
するると音もさせずに萩乃は襖を開けた。
少し湿った病間の臭いがした。
仄暗い行燈の灯に、広い寝間には横たわった幼君と、女中が一人見えた。その女中も萩乃の顔を見ると、深々と一礼して立ち上がった。やはり音もさせずに立ち去る。
(大名の暮らしってのは、音が無いもんなんだな)
と、十兵衛は思った。この男、どこか感覚がずれている。
萩乃は十兵衛に目で指示した。
ここまで来て逆らう気にもなれず、十兵衛は大人しく寝間に入っていった。
そのまま、寝床のそばに座り込み、少年の顔をのぞき込んだ。
病床の少年は青白く痩せこけていた。御年十歳と萩乃は言ったが、それよりも幼く見える。殿様といえども、病気の子供だ。十兵衛の気持ちが少し揺らいだ。
「可哀想になぁ・・」
思わずそう呟き、そっと少年の頬を撫でた。
雪か氷のように冷たい頬に少年の死期が近いことが医学の心得のない十兵衛にもわかった。
(・・しかし、どうすればいいのだろうなぁ)
ううむ、と唸り、十兵衛は思案した。
腰の脇差はおそらく、人の手になるものではないだろう。あの年越しの夜の都人は人間ではない。そして源九の言うお告げの言葉を考えあわせてみるとすると。
(この脇差が殿様の病を治すってのか)
十兵衛は脇差しを抜いた。
が。
何も起こらない。
十兵衛は脇差を殿様の細い身体にかざしてみた。ここで急に光りでも差して、霊験がでるのかと思った。しかしやはり何も変化はない。
「・・こういうことじゃなかったのか」
十兵衛は少し気落ちして、刀を納めかけた。
その時だ。
十兵衛は刀身に映った黒い影に気がついた。刃に目を凝らしてよくよくと見た。
(何だ、こいつは)
十兵衛は周りを見回した。
薄暗いこの部屋には、病床に横たわったまま動かない少年と、自分の他には誰もいない。
だが、誰もいないのにもかかわらず鏡のように磨かれたその刀身には、真っ黒な毛の固まりのようなものが映っていたのだ。
(この刀にしか映らないのか・・)
よく見れば、それは猫のようだった。猫と言ってもその大きさは尋常のものではない。十兵衛よりも大きいくらいだ。
大きな黒い猫は殿様の細い身体の上に座り、じっと殿様の顔を見ていた。その目には何の表情も意志も見えなかったが、死の匂いがした。
(化猫・・・ってやつか・・)
十兵衛は生唾を飲み込んだ。冷や汗が脇の下を流れていくのがわかる。
(こんな化け物に上に乗られたら、殿様の身体が持つわけ無いじゃねぇか)
「ほうほう、これはビョウキというものじゃ」
「わ、爺さん」
突然降ってわいたように、源九が十兵衛の真後ろにいた。
「ビョウキは猫鬼と書いての。人間に取り付いて病にしてしまうという鬼じゃよ」
「・・どうしたらいいんだよ、爺さん」
「お前さんのその脇差を使うのじゃよ。それで鬼を斬りなされ」
「こいつを斬れってのか」
源九は頷いた。
「この爺が信じられないかね」
十兵衛は脇差を握りしめ、源九と猫鬼とを見比べた。
「ほれ、行きなされ」
十兵衛は覚悟を決めた。
猫鬼はゆっくりと十兵衛の方を振り返った。つくりもののような緑色の目玉が細く引き絞られた。
ぐぅなぁご
という、猫のような他の生き物のような奇怪な鳴き声で猫鬼が鳴いた。十兵衛は自分の体中の血が引いていくのをはっきりと感じた。普段は意識することなどない鼓動までが耳に響く。
震える十兵衛を見て、猫鬼が笑った。いや、笑ったように思えた。
十兵衛は肩で大きく息をし、ついに脇差を構えようとした。しかし。どうしたことか、身体が動かない。金縛りにあったかのように、指一本動かせない。
「早くしないから妖気にあてられたんじゃよ。仕様のないお人じゃの」
源九がぽんと軽く背中を押した。途端に身体に力が戻る。
猫鬼はゆっくりと立ち上がった。
「うおおおぉっ」
気合裂帛。
十兵衛が飛びかかると、猫鬼は子供の腕ほどもある爪の生えた前足を振り上げた。
きゅわん、という軽い金属のぶつかりあうような音がして、十兵衛の初太刀は猫鬼の爪に弾かれた。
源九がそれを見て笑う。
「ほうれ、どうした。名だけじゃ足りずに剣術の腕も売ったのかね」
面白がっているとしか思えない源九の言葉も十兵衛の耳には入らない。
猫鬼は十兵衛を視界に捉えたまま向きをかえ、殿様の身体から離れた。
「てめぇ、覚悟しやがれ」
言いつつ、覚悟を決めたのは十兵衛の方だった。翡翠に似た透明な光の猫の目を睨み付け、十兵衛は脇差を正眼に構えた。じりじりと間合いをつめていく。
十兵衛は取り立てて剣術が得意というわけではなかったが、まったく不得手でもない。最初の太刀をかわされたおかげで気がついた。
落ちついた。
脇差は侍の腰に差す大小のうち小の方である。つまり大刀よりも短い。それを大刀と同じように振るっていては、猫鬼を斬ることなどできるはずもない。
十兵衛はじわりじわりと、しかし確実に猫鬼に近づいていった。近くによればよるほど、猫鬼から発せられる妖気がまとわりつくようで、気分が悪くなる。
「化け物め」
十兵衛が猫鬼に斬りかかろうとしたその時。
ひゅうという空を斬る音とともに猫の爪が十兵衛めがけて振り下ろされた。
「はあっ」
十兵衛は猫鬼の爪を左肩に受けながらも、そのままの姿勢を崩さず、脇差を猫鬼めがけて叩き込んだ。
ぎゃん
「ようし」
源九は手を打った。
十兵衛の脇差は猫鬼の目に深々と突き刺さっている。
「それ、そのまま斬り下ろすんじゃ」
十兵衛は渾身の力を振り絞り、源九の言うとおりにした。脇差は、紙か何かを切り裂くように、猫鬼の身体を滑っていった。
「な、何だ・・」
刀を滑らせていくうちに、十兵衛は自分の中に何かが起こっているのを感じた。しかしそれが何なのか、考える間もなく、猫鬼は。
ごぉぉぉぉ・・・・
耳にしたこともない恐ろしい断末魔を残し、消えた。
十兵衛はその場に立ち尽くした。すっかりあがった息をつくのが精一杯だった。しかし不思議なことに肩の傷の痛みはそれほど感じてはいなかった。
「・・それは狐の守刀・・妖かしの力を吸い取る脇差のおかげじゃよ。傷も癒えているじゃろう」
ゆっくりと語りだした源九に、十兵衛は振り返った。
「・・あんた、あの夜の・・・確か源九郎とか・・」
そこにいたのはあの年越しの夜、宴の輪にいた爺だった。にこにこと笑いながら、爺は言った。
「仇やおろそかにしてはならぬぞ。使い方によってはお前さんの命も危ういものじゃてな」
十兵衛は威厳に満ちた爺の言葉にただ頷くしかできなかった。
「猫鬼を退治したことで、お前さんもきっと仕官が叶うじゃろうて。よかったのぉ」
爺は満面の笑みで言い残して消えた。
果たしてその言葉通り、十兵衛は若い殿様に仕えることとなった。
参
月日を百代の過客と言ったのは芭蕉翁だった。まさしく、時の流れは矢のように過ぎ去っていく。
十兵衛はふと庭先に目をやった。
秋の日は釣瓶落としというらしい。早くも日が暮れかかり、空が茜に燃えている。庭に植えられた楓の葉も枝も、紅に染まって見える。もっとも、楓の葉の方は昼でも赤いのだが。
十兵衛は筆をおき、背中を伸ばした。
いつのまにか深くなった皺、灰色の髪。すっかり年老いたと、我がことながら思う。
今となっては、全てが夢の中のできごとのように思える。父母のことも、若い日の暮らしのことも、あの夜の宴のことでさえも。不思議な都人に貰った脇差で猫鬼を退治し、殿の命を救ったことも、遠い。
十兵衛は腰の脇差に触れた。その柄の確かさに、いつも心が落ちつくのだ。
「天野殿、今日はこのあたりにしませんか」
「そうですな」
同役を務める木村甚内が十兵衛に声をかけた。天野十兵衛。それが今の十兵衛の名である。あの日、社に迎えとしてやってきた天野の娘を娶り、その跡を継いだのだ。
義父も妻も鬼籍の人である。
甚内はにこにこと笑いながら、手元の筆やら帳簿やらを片づけはじめた。甚内はふっくらとしたえびす顔の、穏和な男である。
「どうです、今夜これから私のところで」
酒をつぐ仕草。
「久々ですな」
十兵衛も笑って答えた。甚内は十兵衛が天野の娘婿となり、江戸の藩邸に出仕するようになってからこちら、変わらず良い友人であった。
江戸詰めの者は家族を国元におき、単身で出てくる。江戸にいる間暮らすのは、藩邸の敷地内に儲けられた長屋である。四畳半から六畳ほどの広さの部屋に二、三人が同宿するのが普通であった。
十兵衛も勿論例外ではない。天野の親戚筋にあたる高田左平太という勘定方を務める男と同部屋である。甚内にも同部屋の者があったのだが、身体を壊してしまい、国元に急遽戻っていったのだった。だから今は甚内の部屋なら気兼ねもいらない。
江戸勤番となると手当もつくのだが、賄いが国元と江戸とでふたつになるためもあって、懐はかなり苦しいものになる。自然食事も自炊となる者が多かった。それを不満に思うものもあるようだが、御家人であった頃よりはましである、と十兵衛は常から思っていた。
「・・酒も飲めるのだからな」
「なんだね、十兵衛殿」
「いや」
十兵衛は湯飲みの酒を口に含んだ。肴は梅干しである。これは甚内が漬けたものだ。器用なものである。
「喜代殿が嫁入りときいたぞ、甚内殿」
「はは、そうなんですよ」
甚内は嬉しそうに笑う。
「この十五日が祝言でしてな」
「ほう、ではもうそろそろ国元へ戻らねばならんな」
「明後日に発つよ」
甚内の娘・喜代は今年一八になる。甚内に似て、美人とは言えなかったが、気だての良い娘である。きっと梅干しも上手く漬けるだろう。
「そうか」
十兵衛は甚内の娘の婚礼が我がことのように嬉しかった。
十兵衛が初めて国元へ入った日、喜代は生まれた。
国元とは言っても、元来江戸生まれの十兵衛にとっては他国である。知り合いもないもない。その上、取り立てられた経緯も経緯であったので、家中には十兵衛を快く思わない者も多かった。
しかし、甚内は喜代の誕生の祝いの席に十兵衛も招いてくれたのだ。閉鎖的な藩内にあって、それは勇気のあることだった。
十兵衛には子がない。そのためもあってか、国へ戻るたび、喜代に会うことを楽しみにしていた。喜代もまた、無骨ながら優しい十兵衛を慕ってくれた。思えば家族の縁に薄い男である。
「喜代殿には宜しく伝えてくれよ」
「もちろんだとも」
そうしてその夜、二人は梅干しと思い出話を肴に飲んだ。
十兵衛が同じ棟の自分の部屋へと戻ったのは、五つ半頃のことであっただろうか。同部屋の高田はすでに床についていた。高田を起こさぬように手際よく寝る支度を整え、十兵衛も寝床についた。いつものように例の脇差を抱えて眠る。それが長い間の習慣になっていた。
少しうとうととした。
十兵衛は不意に左手に掴んだ脇差が熱くなり、震えているのに気がついた。
(・・・どうしたのだ)
十兵衛が暗い部屋に起きあがったその時。それはやってきた。
きん、と耳が痛くなった。それからがつん。
腹の下から突き上げられて、地面が抜けるように落ちる。それが何度も何度も繰り返されて、何がなんだかわからないうちに、振り回される。そこら中で物が落ち、壊れる音がした。めりめり、みしみしと屋根が軋む、柱がたわむ。轟音。
それが地震であるとわかったのは、揺れが少しおさまってからのことだった。咄嗟に人は自分の置かれた状況は把握できないものだ。
十兵衛は呆然と、脇差を抱えたままで布団の上に座っていた。闇に目が慣れて、部屋の様子が少しばかり見えるようになった。
まず目に入ったのは、柱だった。十兵衛の目の前に倒れていたのだ。
「た、高田殿、大丈夫かっ」
十兵衛は叫んだ。その柱は枕を並べていたはずの高田の上に倒れていることに気がついたのだ。
「高田、高田殿っ」
しかし返事は帰ってこなかった。
十兵衛は脇差一つをもったまま、立ち上がった。柱が倒れたのだ。今揺り返しが来れば、天井が落ち、自分も高田と同じ目にあうだろう。
「誰か、誰か無事な者はいるのかっ」
十兵衛が大声で呼びながら部屋を出ていくと、長屋の様子が少しわかった。
もうもうと立つ土煙。壁が崩れ、屋根が落ちているところがあった。十兵衛の部屋と同じように、柱が倒れたところも多い。その長屋自体が崩れずにあることが不思議であるような有り様だった。
十兵衛は甚内のことを思い出した。這い、またぎ、転がるように壊れかけた長屋を進んでいく。途中、何人かの同輩に出くわした。皆必死の形相で、長屋を出ていく。中には怪我をしている者もいるようだった。
「甚内殿、甚内殿っ」
甚内の部屋は崩れ落ちていた。土埃と壊れた瓦。屋根が落ちたのだ。
「じ、甚内、甚内っ」
十兵衛は夢中で瓦をどかしはじめた。手が切れ、血がが滲んだが、少しも痛くはなかった。
「・・・十兵・・衛・・殿・・・」
微かに甚内の声がした。
「甚内殿、無事かっ」
瓦と土の間から、折れた梁が覗いた。その下から声がする。
「・・・十兵衛・・殿、梁が落ちた・・・もうだめだ・・・」
「じっとしておれ、今助けるっ」
「だめだ、そんなことをしていたら、十兵衛殿まで、死ぬ・・・」
「黙っておれ」
十兵衛がそう怒鳴ったとき、また少し揺れた。
「揺り返しだ、早く逃げられよ」
甚内の言葉に十兵衛は答えなかった。力の限りを振り絞り、梁をどけようとする。それ自体の重さもさることながら、上に落ちた瓦や屋根土の乗った状態の梁は簡単には動かない。
「くそ、こんなものがっ」
十兵衛は必死だった。
寝ていたまま、上に梁が落ちてきたらしい甚内は、十兵衛が開けてくれた隙間から空を見ていた。自分を助けようとしてくれている男の気持ちが嬉しかった。知らず、目頭が熱くなってくる。
梁は腹の上にある。酷く重く、苦しい。内腑のどこかが破裂したのかもしれない。
「頼むから、十兵衛殿、逃げて下され・・・」
「だめだ、甚内殿。お前さんは喜代殿の花嫁姿を見なければならんのだ」
甚内は返事ができなかった。
それから何度か揺り返しがあった。しかし梁はびくともしない。それでも十兵衛は、甚内の身体の上に落ちた梁をどけようと、もがいていた。
ふと、十兵衛はまた脇差が熱くなるのを感じた。作業の邪魔にならぬように背中に差した脇差が燃えるように熱くなっているのだ。
「一体、どうしたことだ」
十兵衛は脇差を手に取った。柄を握り、抜いてみた。
途端。
これまでよりも大きな揺り返しがきた。ごおごおと地鳴りが響く。
だが、十兵衛はその揺れよりも恐ろしいものを見ていた。
大きな大きな黒い塊。闇夜よりもなお黒い何かが火の手に燃える空にそびえていたのだ。ぬらぬらと黒い膚に赤が映っている。
(・・・あれは・・・何だ)
抜き身の脇差を握りしめ、十兵衛はそれを見上げた。
それはゆっくりと振り返った。
(鯰・・・)
千代田の城よりも大きな鯰。髭がのたうつ竜のように蠢いている。丸く無表情な目玉がぎょろりと十兵衛を見た、ような気がした。
(こっちに来る・・・)
鯰がずるりずるりと動き出した。確かにこちらに向かってくるのだ。そして鯰が動くたびに地面が揺れる。揺り返すのだ。
(これが地震をおこすという鯰なのか)
あまりに冷静な自分を不思議に思いながらも、十兵衛はそう思った。
鯰はじわじわと近づいてくる。
「どうした、どうされたのだ、十兵衛殿」
甚内の声も十兵衛の耳には入らなかった。ただ、まるで魅入られたように鯰から目を離せないのだ。
「う、うをををををぉ」
ついに大鯰が十兵衛の側へやってきた。城よりも大きい体が目の前にあった。十兵衛は生唾を飲み込んだ。胸が締め付けられるように苦しくなった。体中の血がたぎる。脇差を両手でしっかりと握ると、そこから熱い何かが流れ込んでくる。
ついに、十兵衛は脇差を振りかざし、鯰に向かって飛び掛かった。
しかし、大鯰は。
大鯰は嬉しそうに目を細めた。そして身体を折り曲げ、まるで好物を飲み込むように。
鯰は十兵衛を飲み込んだ。
そして大鯰は丸い目を見開き、消えた。それに応えるように再び揺れが激しくなり、地面が波打った。
その揺れに梁が振り落とされ、甚内と梁との間に隙間が出来た。甚内は揺れにも構わず慌てて這い出す。 大怪我をしながらも命拾いした甚内だったが、十兵衛の姿を見ることはできなかった。
安政二年十月二日の夜のことだった。
死者四千二百九十三人、負傷者二千七百五十九人。倒壊した家屋一万四千三百四十六軒、千七百二十四棟。潰れ土蔵千四百四。この数字には火災による被害は含まれてはいない。まさしく未曾有の大災害であった。
後日、焼けた長屋跡から十兵衛の脇差が見つかった。この脇差が、どこをどう経たのか、後に旗本・堀内兵衛の手に渡り、江戸市中を騒がせることになるのだが。
それはまた、別の話である。
了
1998.5.21