参 妖刀
新宿という街は、人目を憚るような関係を隠すにはもってこいの場所を多く抱えている。繁華街の奥の安いラブホテルなどもそのひとつだ。
だからという訳でもないが、柳生がその女と会うのに選ぶのは、そういった安いホテルだった。最初に金を払うときでさえ、管理人と顔を合わせることもない。
無論、他に見られることのないように、部屋に結界を張ることも忘れてはいない。
「…あら」
どことなく気怠げな沈黙を、女の声が破った。
「何だ」
ベッドの端に上半身裸のままに腰掛けていた柳生は、見返りもせずに答えた。
不機嫌な顔のまま、くわえた煙草に火をつける。紙巻き煙草は柳生の好みではなかったが、とりあえず煙を味わいたいこともあるのだ。
ベッドに寝そべったの女は、裸身だった。寝乱れたシーツを申し訳程度に体にまきつけ、金色の長い髪も豊かな胸も、惜しみなく男の目の前に晒している。
女は床に落ちていた小さな手帳を赤い爪で拾い、見た。
「驚いたわ。…あなた本当に高校生なのね」
「ふん」
柳生は女の言葉に面白くもなさそうに鼻で笑った。
「その方が都合が良かった」
「そうかも知れないわね」
情事に少しはげた赤い唇が、艶めかしくすぼめられた。
「教師と生徒では、どうしても溝ができるわ。…見ているだけなら、丁度いいかも知れないけれど」
「緋勇をどう見た」
「普通ね。…見た目はまったく普通の子で、正直拍子抜けね」
でも、と女は言葉を切った。
「時々、背中が震えるくらいに心地よい『気』を感じるわ。あれが『黄龍の器』というものなのかしら」
「紅毛にもわかるか」
柳生は声を出して、妙に楽しげに笑った。
女は馬鹿にしたような言葉を咎めるでもなく起きあがり、柳生を背から抱きしめた。熟れた果実のような胸が、柳生の背にぐっと押しつけられて形を変えるのも構わず、腕をのばして唇から煙草を取り上げた。
「喫煙は良くないわね」
言いながら真っ白な手で、火のついたままの煙草を握りつぶした。だがやけどをした形跡もなく、たおやかな白さはそのままだ。柳生は憮然と女を見、眉を寄せた。
「何故だ」
「不味くなるからよ」
「……それは悪かったな」
後ろから回していた腕で、柳生の頭を胸に抱いた。額から頬に走る深い傷跡をちろちろと舐め、首筋へと唇を這わせていく。柳生は導かれるままに従い、女の体にのし掛かった。黙ったまま、女の乳房をゆっくりと揉みはじめる。
「西欧で龍は悪魔と同義で語られている。大地の龍の力の独占を恐れた人間共の智恵だな」
「…その龍の力があれば、私たち闇に生きる者の世界を取り戻すことができる」
「そうだ。お前達が失った世界だ」
女はうっとりと柳生を見上げた。薄く開いた目と、唇。
唇には、白い牙が見えた。
「……いいかしら…?」
「好きにするがいい」
柳生の愛撫のせいなのか、女は堪えきれないというふうに熱い息を漏らした。真っ赤な
唇を薄くひらく。覗いた牙が、柳生の首筋に押し当てられた。
「魔物の血は不味いらしいが、飢えにはかえられまい」
喉の奥で笑い、柳生は女の牙を頸動脈に受け入れた。皮膚が裂け、血が勢いよく出た。その赤い液体を、女は嬉々としてすすり上げた。
深夜。
博物館はひっそり閑と静まりかえっている。
その静けさの中に足音を響かせて、柳生は無人の展示室へと入っていった。埃っぽいような、懐かしいような、馴染みのある匂いが柳生を出迎えた。
江戸時代の遺物を展示する博物館の催しというのは、意外に人気のあるものだという。テレビ番組で、骨董品を「お宝」などと取り上げたせいもあるかも知れない。
さらに、博物館の学芸員の努力もあって、根付け、簪の類の装飾品や、古民具、人形などとテーマを区切った催事が見やすいというのもあるだろう。
丁度、今展示されている刀剣類も、人気のあるテーマのひとつであった。
まして、徳川縁の地である日光で、曰くありげに埋められていた刀が初お目見えというのだから、マニアにはたまらないものがあるのだろう。何しろ、発見されたのは、『村正』の銘を持つ日本刀だったからだ。いや、正しくは、『村正』と推定されるものだ。木箱に入れられ、封じられるように三つ葉葵紋のついた袱紗に包まれていたという以上、満更信憑性がないわけでもない。
柳生はその『村正』の展示ケースの前に立った。
「………」
僅かに眉を寄せ、唇の端を持ち上げるように笑みを浮かべる。
「徳川に仇なすという妖刀よ。…長き眠りより目醒めるがよい」
柳生は無造作にガラスケースに腕を伸ばした。硬質ガラスはまるで透明の膜のように、砕け散りもせずにその腕を受け入れた。
防犯用のベルも鳴らない。
博物館は、相変わらずに静かなままだ。
柳生は易々と刀をつかみ、ケースから取り出した。鞘や柄は発見されたあとに手が入れられたらしく、新しいものに取り替えられていた。目釘もきちんとはまって、見た目には新しい刀のようだった。
「……」
無言のままに、柳生は懐紙をくわえた。刀を抜き、非常灯の薄緑の灯りに、峰と背、丁字を確かめ、満足げに頷いた。
しゃらりと音を立てて、刃を鞘に収める。
後は用もないとばかりに、柳生は博物館を去った。
メインの展示品であった『村正』がないことがわかり、博物館が大騒ぎになったのは翌朝のことだった。
職員会議を終え、マリア・アルカードが真神学園を出たのは四時半頃だった。そのまま緋勇や蓬莱寺と約束した花見のために新宿中央公園へと向かう。欧州から来日し、真神学園の教師として赴任してから半年のマリアにとって、生徒と花見は初めてのことだ。
「マリア・アルカード」
校門を出た途端、呼び止める声があった。
「昼間から姿を見せるなんて、珍しいわね」
「花見か」
「ええ。私の可愛い『生徒』達とね」
マリアは赤い学生服の男に笑みかけた。校門に背を預け、腕を組んだ柳生はにやりと笑った。
「花見に余興を添えてやろう」
「余興?」
「面白いものが手に入った。奴らも楽しめるだろう」
マリアは目を細めて笑んだ。
「私にも楽しいものだと嬉しいわね」
「それは請け合おう。……見物だぞ」
柳生はそう言い残し、かき消すように姿を消した。
マリアは唇の端を軽く持ち上げたまま、僅かに目を伏せた。
『………黄龍の力は、きっと私が貰うわ』
故郷の古い言葉で呟いた。
それからまた、何事もなかったかのように新宿中央公園へと向かっていった。
つづく。